
お!
花達健闘
歩くのが
今日も晴れ。朝の庭の水やりが楽しい。
今年3月に初来院の〇さま、50代後半男性。
 「昨年の師走から片側のふくらはぎに痺れがあった。次第に同じ側の臀部に痺れが出てきて、歩行が長い時間できなくなった。整形外科にて検査。理学療法にて治療中。」
 ご来院時杖を使用し、姿勢は前かがみでした。着替えをしていただくのもベッドの上で体位を変えていただくのも、苦痛を伴うご様子。
 脊柱管狭窄症は、”数回の治療で何とかなります”と言えません。症状の改善には長くかかる旨をお話して、鍼灸施術を開始しました。
 1回/週の頻度で、雨の中も陽が照り付ける日も通っていただきました。
 2度目のご来院の際「あの後、痺れが2日だけでしたが治まりました。」
 3度目「悪くはならないが良くもなっていない感じ。痺れは治まってきた気がするが同じ側の腰とふくらはぎに痛みが出てきました。」
 (痺れが痛みに変わるという声は、経過途中でよく耳にします。変化があるのは良い傾向にあると思いますのでもう少し頑張りましょう。)
 4度目「痺れと痛みが若干、下の方に来た感じ。」
 5,6,7回「大きな変化なし。箇所としては、ふくらはぎ。」
 先日が8回目。まず杖無しで歩いてこられます。腰も伸びています。こちらから見ていて動きが随分とスムーズになりました。
 「歩くのが随分楽になってきました。初めの痛みを10としたら・・・?そうですね、2かな。」
 この度は症状が出ている高さの腰椎を押しましても、初めて”平気です”と仰っていました。
気候も良い時期になりました。歩きが楽になると生活の幅が広がりますね。
親族って
先日帰省した際、母方の従姉妹とその娘さんと会うことができた。
 従姉妹のお姉ちゃんは昔と変わらなくて、年齢を感じさせないところが凄いなあといつも感心してしまう。母がぼんやりし始めた頃、私を見てこのお姉ちゃんの名前を呼んでいたっけ。従姉妹だけあってちょっとは似ているんだろうか。
 その娘さんと、じっくり話が出来たのは初めてだったかも。大人になってから昔の話をするとなかなか面白く。
 持参していたタブレットで懐かしい写真を披露していた時に彼女が言っていた言葉が、やけに印象に残ったので記しておこうと思う。
 「この時のことは小さすぎてよく覚えて無いなあ。でもおねーちゃんとは実家で会ってるよね。多分私小学生だったと思うけど、ちょうど私の目の高さにおねーちゃんの太腿があってね。なんておっきいんだろ、太いんだろ・・・って、めっちゃ驚いて。その場面をいまだにしっかり覚えてるよ。ほんっとにびっくりしたわ。」
 そう、彼女とは葬儀で会いました。高校生だった私、人生でMAXな太腿だったはずで。そりゃあ、小学生から見たら”なんだこの生き物!”だったんだろうなぁと状況を想像して、しばし笑いが止まりませんでした。
 この写真はまだ私の太腿が成長する前のものだけど、既にこの時から私に向いた彼女の目線が意味深で笑えます。
親族っていいなあ・・・
 この歳になったからでしょうか、余計に感じます。
表情
昨年オペにて修復していただいた箇所の、経過観察の為受診。
 駅からの帰路、〇さまとお会いする。
 先月いらした初めの頃は歩くのがやっとで、苦しそうな状態でしたが。
 随分と表情が変わられました。最近難治性の脊柱管狭窄症の方が続いておりましたので、ゆっくりですがご回復されていく様子を感じられると嬉しいです。
 さて、自分の方は。
 「骨の再生、いいねえ。すごくいいよ。」ドクターやや驚きの表情。
 経過良好。よしよし。
 「軟骨の方は、これからまだまだ増えていくからね。」
 先日から不安に思っていたことを、お尋ねしてみる。
 (あのう・・・増え過ぎちゃうということは無いのですか?)
 「若い人と違って、大丈夫ですよ!」
 (はい・・。)
 安心したような、若くないから大丈夫って言われたような・・・。
 ドクターの前で、きっと複雑な表情をしたんだろうなあワタシ。
 9か月経過で、ランニングも可能になったらしい・・・。走れるのか?ジブン。
上手いねぇ
雨の中を〇さまご来院。70代男性。
 「調子悪いよ~~。」
 頸の付け根から後頭部にかけて指し示し
 「此処が気持ち悪いんだよね。」
 「あ、それからね。腱鞘炎、ずっと良かったんだけど。この頃また痛くなってきてさ。悪いけどお灸してもらえる?前の痕消えちゃってさぁ、わかんなくなったから。」
 以前にもご自宅でお灸が出来るよう、灸点をおろしました。
 ペンで印をつけて半米粒大に捻ったもぐさを5壮。顔を上げてごらんになっていた〇さま「センセィ、上手いね~~。俺がやるのとじゃ、全然違う。」
 褒められちゃった・・・。一応これが仕事ですから・・・。
 「何を付けてもぐさ置いてるの?」
 (紫雲膏って言います。やけどの薬です。艾が上手い具合に立つんですよ。)
 「へええ・・。俺なんか唾つけてるけどね。あっはっは。」
 本職側が唾つけたら、まずいですからね。
 「ありがとう。痕付けてもらったから、また家でもできるよ。」
 いつも豪快な笑顔で帰られるので、こちらも思わず口角があがります。笑顔が伝染るようです。
感激
先日久しぶりにお見えになった〇さまとの会話で。
 「去年大曲の花火を観に行ったの!センセのご郷里の秋田に!」
 (おお~~~。結構こっちにいらっしゃる方が行かれるみたいですね。)
 「私は花火好きなのよ。結構いろんな所の花火を観ているんだけど、大曲の花火を観たら・・・もう”これまでの花火は何だったの??”って愕然としたわ。」
 感激なさったと、熱く語る〇さま。
 ややボーッとして聞いておりましたら、
 「え?なに?みて無いとか言わないわよね!」
 (小学生の頃だったでしょうか。一度だけみた気がしますが・・・チビだったもので、感激を持てないまま・・・。)なんだかどうも、すみません。
 「私は今年も行かなきゃって思っているわよ。センセも、行ってください!」
 鍼のお仲間の先生も一度行ってから毎年欠かさず行かれていると聞いています。
 「流れる秋田県民歌に、涙がでるの。」と仰っていて。
 思いがけず”秋田県民歌”を耳にし、出身者以上に秋田を愛してくれている様子に感激しました。
 秋田県民歌、そういえばこんなだったなあ・・・。前に田舎のメンツで行ったカラオケでチョイスして盛り上がったっけ。『秋田県民歌』は昭和5(1930)年10月30日に全国初の県民歌第1号として制定された。すごい!
 花火に合わせて帰省してみたい気持ちも沸々湧いてきますけど・・・いかんせん重たい腰でして。
 とにもかくにも、県外の方のいろんな方の声に感激しています。
純
今の方が
日差しが、コワいくらいです。
 月に2回おみえになる〇さまとの会話。80代女性です。
 「いつも元気そうね。寝込むことなんか無いでしょ。」
 (若い頃の方が風邪もよくひいていましたし、いったん崩した体調を戻すのに随分大変だった気がします。最近の方が年齢を重ねているにもかかわらず丈夫になった気がします、自分でも。)
 「あら昔の方が弱かったの?意外ねぇ。どうして今の方が元気なの?」
 (自分のメンテナンスを定期的にしているお陰だと思います。鍼灸で手入れをするようになって10年になります。改めて10年前の自分よりも健康だと思います。)
 「そうかぁ。そういえば私も、この3、4年は風邪ひいてないわ。やっぱりいいのね~~はりきゅうは。」
 〇さまとご縁ができてから、丸6年になっておりました。
 鍼灸で体質改善と申しましても、劇的に変わるものでなく。一見地味かもしれませんが、どっしりしっかり健やかな身体へシフトしていくように、患者さんを拝見していて感じています。もちろん自分自身を顧みても強く感じます。
 このままいったらワタシ、超パワフルばあちゃんになりそうで。家族から勘弁してくれよって言われそうだし。それはそれでややキョーフかも・・・。
 ということで、程よくまいりたいデス。
涙の
連休のさなかを帰省してこられた〇さま、ご来院。
 「疲れたわ・・・。」
 (お疲れさまでした。)
 「身体の疲れよりも、気持ちの疲れが・・・ね。」
 自分たちがある程度の年齢になっているということは、その親世代も相応の年齢に達しているということで。
 前に会った時との変化に、些細な事であるけれどそこに老いをみて。
 仕方のないことなのだけど、そんな親の姿を直視することがツラくて。
 同じような想いを抱くのも、一緒ですね。
 「いたたまれなくてやるせなくて。帰京のシートで強めのお酒飲んで涙してきたわ。」
 若い時には帰省も心躍るものでしたが。
 いつの頃からでしょうか、心重くなったのは。
 「戻ってからね、この想いを早く聞いてもらいたかったのよ。前に同じような話をしてたから、わかってくれるでしょ。」
 一緒に、頷き合って。
 「家で子らに話を聞いてもらおうにも、後ずさって行っちゃうから・・・。此処で同調して欲しかったのよね、きっと。話せて良かった。」
 涙の連休だったわけですね。ほんと、お疲れさまでした。




















