母の日に
母は”床屋さん”だった。
自分の仕事をこなし、大家族の主婦でもあった。来客の多い家だったし嫁の立場でもあったから、さぞ大変だったと思う。ワタシも人並みに反抗期をむかえ随分反発もしたが、あの頃の母の年齢になった今、改めて母の強さを感じる。
ワタシが物心ついた頃から、母は足が不自由だった。運動会で一緒に走った記憶もないし、周りのお母さん達がやっていたママさんバレーも脇で応援する側だった。人一倍勝気な母にはそれだけでも辛かったと思う。すごいなあと思うのは、子供だったワタシがあの頃のことを全く卑屈に感じなかったこと。
かなりなお転婆で随分手を焼かせたと思うが、悪さをしてさっと逃げるワタシをどこまでもどこまでも追いかけてきた母。追いつかれるはずはないのに、本当にこわかった。甘い父の分までとても厳しい母だった。凛として生きる母がいた。
年に一度顔を見る度に、増えてきた皺。手を差し伸べられないもどかしさに、たまらなく切なくなるが、母に恥じないように生きていくことが親孝行だろうと勝手に思っている。
明日は母の日。照れくさくていえないけど、ありがとう。