指輪
普段私は指輪をしません。
人様に触れる仕事ですので外しっぱなしでおりますが、昨日はちょっと出かける機会があって久しぶりにつけてみました。
”指輪”で、○さまと前に交わした会話を思い出しましたので記したいと思います。
「歳をとってくるとね、手にあらわれるから。大きな石の指輪をつける意味って年齢と共に出てくるのよね。」
(そうかもしれませんね。私も指輪には全く興味がなかったですが、その話はよくわかる気がします。)
「100歳に近いおばあちゃまでね、どこにも出かけられなくなってからベッドの脇に指輪をおいて、時々付け替えて愉しんでいる方を知っているわ。指輪ってそういう愉しみ方もあるんだなあって思ったわ。美味しいものって言っても、そんなに食べられる身体でなくなっているだろうし。綺麗なものを見て感じる幸せってところでしょうね。人に魅せる為のものでなくて、これこそ究極の愉しみ方なのかもね。」
(なるほどですね。。)
「でもね、またある人からは面白いことを聞いたわ。お姑さんが大事にしていた指輪を、お嫁さんが素敵だなあって思っていたんだって。でもお姑さんはその時まだ手放したくなかったんだって。さらに年月が経ってお嫁さんに”これをあげるわ”って言ったら、お嫁さんはお断りしたんですって。要はお嫁さんも以前素敵だなあって思った時代にはそういうモノをつけて出かける機会が多かったと思うのね。でもお姑さんが言ってくれた時には出かける機会も減ってしまって、欲しい時期が過ぎちゃったのね。早い時期だったらお嫁さんに譲ってあげて喜んでもらえたでしょうから指輪も嬉しかったかもね。人の出会いもそうだけど、モノとの出会いにもタイミングがあるってことね。年長者のお話は、勉強になるわ。」
指輪に込められたいろんな想い、人生の数だけあるんでしょうね。
私は老いて自分で愉しんだり、譲ってあげられるような素晴らしいものは持っていないのでそんな悩みはございませんが。
なかなか奥深い話を聞かせていただいた気がいたしました。
それにしても、思い付きではめた指輪がきつくてかなり焦りました。
外せて、よかった・・・・。やれやれでした。